現役医療者の視点

現役医療者の視点  AllAboutガイド

優生保護法による強制的不妊手術の実態

国連女性差別撤廃委員会が、加盟国の女性差別の現状や、差別解消の進捗状況に関する定期的なレポートの中で、20162月、日本政府への質問として「(過去に日本で行われていた)障害のある女性への強制的不妊手術の被害者に対する補償」について情報の提供を求めました。

 

日本で、身体的障害や知的障害を理由に相当数の強制的不妊手術が行われていたことが報道され、驚かれた人も多いと思います。

日本政府は、当時としては正しい手続きの上で行われており、1996年、優生保護法から母体保護法へと見直され、現在は、強制的な不妊手術は行われていないと回答しましたが、本当に正しい手続きがとられていたのか? 被害者への謝罪は必要ないのか? 疑わしいと考えられます。

 

不妊手術

女性の卵管結紮術

  卵管の一部を切除し、卵子と精子が受精しないようにする。

男性の精管結紮術 

  精管の一部を切除し、精液に精子が含まれないようにする。

(優生保護法による強制的不妊手術は男性にも行われていました)

f:id:akachann99:20180402013715j:plain

精管結紮術・卵管結紮術  術式の一例

子宮摘出術

  本来、不妊手術としては認められませんが、発展途上国や共産圏国、日本の一部において、子宮全摘術が行われていました。

 
ある実例

1980年代、ある作業所に勤務する20歳代後半の軽度知的障害の女性が、職場で縁があり理解のある男性と結婚することになり、その女性の母親が「娘に大変なことをしてしまった」と相談に来院。

女性は小学校低学年で軽度の知的障害(当時の精神薄弱)と診断され、小・中学校は養護クラス。母親によれば、子供の頃から魅力的なところがあり、10代半ばで妊娠・中絶を経験。将来を心配した母親が福祉関係者に相談したところ、優生保護法により、親の同意があれば、卵管結紮術が受けられると聞いて深く考えずに手術を受けさせた、という話でした。

現在なら、卵管が結紮されても体外受精で妊娠可能ですが、当時は、卵管を結紮するとほぼ妊娠不可能で、一部の病院で行われていた卵管再吻合手術も成功率は低く、経済的にその病院までは行けないとのことで、成功率は低い事は納得の上で、血管外科医の協力で血管吻合術の手技で卵管再吻合手術を行ったところ、うまく自然妊娠に至り、母親に感謝された。 (秘密の保持に留意して記載しています)

 

障害者と診断されていたとはいえ、将来、普通の社会生活、家庭生活をおくることができていたかもしれない未成年の男女に、優生保護法の元で多くの強制的不妊手術が行われていました。

 

(旧)優生保護法とは (一部抜粋)

1条(法律の目的)

この法律は、優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護することを目的とする。

2条 (定義)の1

この法律で優生手術とは、生殖腺を除去することなしに、生殖を不能にする手術で命令をもって定めるものをいう。

 

(以下 筆者追記)

 本条文の「生殖腺を除去することなし」の解釈として、生殖腺とは卵巣、精巣であり、子宮は生殖腺ではないから摘出してよいと判断され、全国の医療機関で、研修医の修練のために子宮摘出術も行われていました。当時の担当者は障害者の親に対して「学用患者なので費用はいらない、卵巣を残せば女性ホルモンは出るし、障害者は月経出血がない方が楽だろう」と述べていたとのことです。術式研究、手術修練の意図もあったと思われます。

   

時代背景

おそらく1970年代までは、強制的不妊手術は、社会的に必要性のある合法的な手術として、あまり罪悪感などはなかったと思います。精神疾患に対するロボトミー手術が行われ、小説「白い巨塔」の産婦人科医、財前又一が活躍した時代ですから……、

当時は、身体的障害、知的障害のある人の妊娠は、経済的問題、社会的体面から家族も困るだろうと、形式的な審議だけで、本人の同意のない手術が行われていたと推測されます。

「脳性まひ」のような遺伝性疾患ではない人に対しても、優生保護法が拡大解釈され、強制的不妊手術を行うこともあったようです。

関係者の多くが「強制的不妊手術は問題だ」と認識したのは1980年代と思います。今でも、当時現役だった80歳以上の医師と話をしていると、優生思想に関する認識の違いを感じます。これは現在の出生前診断の混乱の一因にもなっています。

 

 

映画「さようならCP」、脳性まひ患者と性

脳性まひ(CP)とは、妊娠中、分娩中に起こった低酸素症、感染症、未熟児などが原因で、運動機能、姿勢の障害による不自由が運命づけられ、根本的な治療はない、非遺伝性の疾患です。実は、五体満足に生まれた人との違いは紙一重で、知的レベルは高く、それゆえの辛さ、悔しさがあり、映画「さようならCP」で、その状況が見事に表現されています。

 

多くの人は、人生には何度かチャンスがあり、人生のやり直しもある程度可能という意識があります。しかし、脳性麻痺の人にとっての人生のやり直しは、障害のない子孫を残すこと以外にはなく、その欲求は誰も否定できません。   

 

ヒト生態学的には、五体満足で生まれ、生殖期の生活に満足感のある人は、子孫を残す本能が低下する傾向があります。五体不満足で生まれる、生殖期に生きることに必死、人生に不満足な人は、子孫を残したい本能が強い傾向があります。昔から経験的に「貧乏子沢山」とされますが、生物的な本能と考えられます。

ヒトとしての繁殖力は、一流大学を出たエリートよりも、優秀かもしれません。

 

 追記)強制的堕胎手術などが行われていたハンセン病患者に対しては、政治的判断により謝罪が行われました。優生保護法による障害者に対する強制不妊手術は、それ以上に人権への配慮を欠いた実態があったと考えられます。