現役産科医の視点

生命誕生の現場、産科医の視点から

帝王切開の「帝王」の本当の由来

帝王切開術の「帝王」(日本:帝王、独:Kaiser=カイザー、米:Cesarean=セサリアン)の言葉の由来については、ローマ皇帝ジュリアス・シーザーカエサル)のエピソードからとか、ドイツ語に翻訳するときの誤訳とか、さまざまな説があります。しかし、これらは歴史学者やお産を知らない医学者が机上で考えたことで、いずれも本質を理解していません。

合併症などがなく普通の経腟分娩を予定していた妊婦さんでも、約3%(多く見積もって5%)で分娩の進行が停止してしまいます。例えば、出口から胎児の頭が3分の1見えているのに、どうしても産まれないというようなこともあります。

このような場合、現在では母子を助けるために帝王切開が行われますが、医療として一般的になったのは50年ほど前です。帝王切開術の手技が完成しておらず、電気がなく、医療器具がなく、血圧、意識レベル、胎児心拍、血液検査などのモニタリング手法がなかった時代なら、どうなっていたでしょうか? 

出血が増加し、子宮内感染をおこし、やがて母親は衰弱し、意識レベルも低下します。帝王切開が一か八かの危険な手術だった頃は、母体の生命を優先するかどうかを家族と相談し「母親だけでもなんとか助けてください。子供はあきらめます」となれば、胎児縮小術が行われました。具体的には、分娩途中の児頭を穿刺して脳みそを掻き出し、胎児を小さくして分娩を終わらせます。

胎児縮小術をしなければ、母親は衰弱し、母子ともに亡くなっていたかもしれません。私自身は経験がありませんが、大学の医局に入った1983年には、まだ、分娩室の隣の器具室に、胎児縮小術用の器具が置いてありました。

ところで、このような状況が、帝王やお殿様の「お世継ぎ」を宿している母親に起きた時、お仕えする医師、侍従医ならどうするでしょう。分娩中に母親が気を失い反応が無ければ、もう助からないと判断し、世継ぎを優先して割腹することもあったでしょう(私がその時代の侍従医ならしたかもしれない)。

世界中の古代文明、古代日本において人身御供や人柱が行われていたことは事実ですが、人間の歴史の中では、出産に際して、母親の命よりも胎児が優先され、呪術師か誰かが母親の腹を切開したことはあっただろうと思います。国家が成立して以降は、法律や倫理のもと、一部の支配者や為政者(暴君でなくても)には許容されたと考えられます。庶民は母子共に死亡していたわけですから。

「帝王切開」は誰かが提案、定義した言葉ではないにもかかわらず、世界中で「帝王」という名称が広まったのは、人の心理の深層に、その概念を受け入れる要素があったということです。

テレビドラマ「ドクターX」第4シリーズ第10話で、黒木メイサ扮する妊婦が、母親の命か、胎児の命かの選択で「一族のために私の命よりもおなかの子供を優先して」と言います。現代の価値観では違和感がありますが、人間の長い歴史においては、むしろ当然の台詞だったかもしれません。
ちなみにドラマでは、米倉涼子扮する大門未知子が「わたし、失敗しないので」と母親と胎児の両方を助けます。

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