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胎児標本問題の真実(なぜ胎児の遺体が残った)

産婦人科の跡地に15体の胎児標本が放置されていたと報道されました。

産婦人科跡地で胎児の遺体15体

去年11月、鹿児島市松原町で廃業した「鳥丸産婦人科」の建物の解体中に、瓶の中にホルマリンで漬けられた胎児15体が見つかり警察に通報がありました。
警察によりますと、見つかった15体は妊娠12週から31週までの胎児とみられるということです。
警察によりますと、胎児が見つかった産婦人科はおよそ20年前に廃業していて、当時の医師もすでに死亡していることなどから胎児についての詳しい経緯や身元は判明せず、鹿児島市に遺体を引き渡したということです。
市では去年12月、引き取り手のない「行旅死亡人」として、市営墓地に納骨し、今月1日付けで国が発行する官報に掲載して、手がかりになる情報の提供を呼びかけています。 (以上ニュース記事)

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一般の方からすれば、あり得ない話と思うかもしれませんが、過去の真実も知っておく必要があるかもしれません。

1979年度カンヌ国際映画祭で最高賞パルム・ドール賞を受賞した「ブリキの太鼓」という少し変わった映画があります。その中に、1930年代のドイツの診察室で、ガラス瓶に入れられた胎児標本が、主人公が発する超音波で壊され、その胎児標本が床に転げ落ちるシーンが出てきます。
私自身、1980年代前半に医師になり、研修医の頃に医局の指示で、日本各地の病院にバイト診療に行きましたが、戦前からある歴史のある病院の地下室や、検査室の倉庫などには、古いホルマリン漬けの標本(胎児標本に限らず外科摘出標本なども)が数多く置かれていました。
1960年頃、山崎豊子「白い巨塔」の時代、学究派で研究熱心な教授(例えば大河内教授)のもとで、臨床病理解剖が多い医局では、いずれ論文になる可能性が少しでもある標本の処分、破棄は許されていませんでした。

人間には、程度の差があっても本能的な収集癖があります。特に、学問の分野では自分の専門分野で役に立つかもしれないものは、手元に保存しておこうとします。
もし仮に、森永卓郎さん、やくみつるさんや、みうらじゅん、レオナルド・ダ・ビンチのような収集癖のある方が、当時の権威ある立場だったら、多くの胎児標本を保存していたと思います。

1980年から1990年代にかけて、戦前生まれの医学部教授が代替わりし、バブル前後に全国で古い病院が建て替えられ、医学研究も臨床報告から基礎研究が重視されるようになり、それまで保存されていた膨大な標本の処分が行われました。
倫理的、道義的な視点からの検討が行われ、日本産婦人科学会が、「死亡した胎児・新生児の臓器等を研究に用いることの是非や許容範囲についての見解」を発表したのは1987年です。

胎児標本については、1996年に優生保護法から母体保護法に代わり、医師の意識が徐々に変わりましたが、さらに2004年に関東のある開業医が妊娠12週以降の中絶胎児を一般生ごみとして処分していた事件があり、産婦人科医医会はあらためて全国の会員に対し「専門業者に依頼して丁寧に適切な処理」をするように指導しました。
今回の施設は、それらのタイミングを逃してしまったのでしょう。

 

超音波検査が普及する以前は妊娠中に胎児の異常はわからず、生まれてから異常が判明しました。生まれた時に外表奇形や、顔貌異常を認めた際にどうなったでしょうか?
この間まで大きなおなかをしていた妊婦が、お産を終えたはずなのに、家からは赤ちゃんの泣き声は聞こえてこない。どうしたのだろう? 聞くところによると「難産で赤ちゃんはだめだった」らしい。

太平洋戦争時代に、防空壕でお産を介助していた経験のある助産婦の話、
「無脳児やダウン症、口唇裂の子供が生まれた時には、本人や夫、姑に相談して、そのまま放置したり、水につけたりすることもありました。あとの処理は助産婦の自分に任されたので、密かに、いつも山奥のある桜の樹の下に埋めていました。野良犬が掘り返しているかもしれないから、しばらくは近寄れなくて、毎年、桜の花が咲く頃に手を合わせに行っていた」
とのことです。

埋葬法が1948年に制定され、1950年頃からはそれができなくなり、それからは医師に依頼していたようです。それまでは、おそらく全国で似たようなことは行われていたと思います。

梶井基次郎の短編小説「桜の樹の下には」
「ああ、桜の樹の下には屍体が埋まっている!
いったいどこから浮かんで来た空想かさっぱり見当のつかない屍体が、……」
これは確かな見聞をもとにしているから、「空想」と誤魔化しているのだろうと思います。

「いずれ土に還るなら、せめて桜の樹の下に・・・」 最近、注目されつつある樹木葬に通ずる不変の感情かもしれません。