現役産科医の視点

生命誕生の現場、産科医の視点から

無痛分娩は日本で普及しない

最近、無痛分娩による医療事故の報道が続き、現役産科医としては、大変残念な思いです。確かに無痛分娩を希望される方は増えていますが、実はこれからも、日本で正常分娩における無痛分娩が普及することはありません。(どうして? と思うかもしれませんが……)

私が在籍する産科病院では年間1800~2000件の分娩があります。無痛分娩に必要な硬膜外麻酔の手技ができる医師は3名おり、1人は米国の大学で産科麻酔の研究をして学位を取った方です。いずれの医師も、分娩の経過などで必要と判断した場合には、ごくまれに、この硬膜外麻酔を行うこともありますが、妊娠中の健診で、「お産は無痛分娩にしてほしい」と希望される方には、「残念ながら、当院は無痛分娩に対応していないので……」と説明し、どうしてもという方は、無痛分娩に対応している施設を紹介しています。
病院の経営陣からは、幾度となく「妊婦の希望に応えて無痛分娩はできないか? 病院のアピールにもなる」と提案されてきましたが、「現状では困難」と現場の医師の意見は一致しています。

WHO(世界保健機関)による「正常出産のケア(翻訳)」では、

「正常分娩において、硬膜外麻酔による無痛分娩はしばしば不適切に行われている」として注意喚起されています。
無痛分娩は、先進国の先進的な分娩管理として認められているわけではありません。本来なら必要なかったかもしれない陣痛促進剤や、人工破膜、計画分娩、帝王切開など、分娩への医療介入は増えます。なにより、無痛分娩の割合が多い米国やフランスは、日本よりも周産期死亡率や母体死亡率の高い国であり、決して母子にとって安全な国ではありません。

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今回のように、硬膜外麻酔で腰部から入れた麻酔薬が脊髄腔に直接入り、下腹部だけでなく胸部の呼吸筋まで麻酔が効いてしまい、意識があるのに呼吸ができない状態(全脊髄麻酔と言います)となるのは、どんな優秀な麻酔医でもおこりえる合併症です。むしろ経験豊富な医師ほど経験している。
その場合、適切な対応を行うことが重要です。具体的には、呼吸筋の麻酔が切れて、自分で呼吸ができるようになる(120分以上)まで、人工的に呼吸を続けさせることです。経験があればさほど難しいことではありませんが、問題は一般の予定手術ではなく、いつ始まるか判らないお産の麻酔としてどうか?ということです。

現在、産科病院に求められる医療レベルを保つためには、たとえ正常出産であっても、緊急の処置や帝王切開に備えて、分娩を担当する医師の他に、少なくとも15~30分で対応できる待機医師が必要です。さらに無痛分娩では、麻酔管理する医師が1人必要になり、合計3人の医師が拘束されます。
年間2000人の正常分娩を扱う病院では、1日に10人以上生まれる日もあれば、お産のない日もあります。たまに、10分間に3件のお産が重なることもあります。仮に分娩の集約化が進んだとしても、1日24時間、365日、分娩担当医1人、待機医1人、麻酔医1人の勤務体制を、今の日本の医療環境で実現することは、簡単ではありません。

2000年のことですが、アメリカのジョンズ・ホプキンス大学周産期センターを見学した際、年間分娩数は3000件ほどでしたが、時間外の体制は産科登録医2名、外科・救急兼任の一般レジデント医1名、麻酔科レジデント1名が当番制で院内に待機しており、一般レジデント医は分娩や帝王切開、硬膜外麻酔にも対応していました。産科だけの発想では、安全で適切な無痛分娩は実現できません。

分娩時の母体死亡や重大な後遺症は、分娩2万~数万件に1人の割で起きます。それは、分娩数が年間1000件の施設で20年間に1回程度起こる頻度ということです。今回の報道では、年間数百件の無痛分娩に数年間対応した一部の施設が、マスコミの取材を受け、無痛分娩のメリットなどを紹介していますが、分娩管理の本当の怖さを知っているとは思えません。 

 

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